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今だから、CARNIVALについて、学と理紗の関係性(ネタバレあり・既プレイ者向け)

もう何百篇も言ってると思うのですが、瀬戸口廉也氏シナリオのCARNIVALが死ぬほど好きで、

その中でも木村学と九条理紗の相互関係性が最高なんですよね。

キャラ的には渡会泉ちゃんの方が好きなんですけども。

大分浅くて曖昧な記事なので皆さん自分のプレイした時の事を思い出して、脳内補完しつつ読んでくだされば幸いです。

私が考えるCARNIVALは「世界は愛してくれないし、一生幸福にもなれないし、人とは分かり合えないし、人生は痛くて辛いことしかないけどそれでも生きていくしかない」という事です。

私はあの二人で手を取って階段を降り「あの世界のなかには、それぞれの人たちが複雑に絡み合って、どうにもならないしがらみのなかで、みんな、泣いたり笑ったり苦しんだりしているんだと思います」と言ったENDでも二人は分かり合えず、小説版での学の自殺に繋がったと考えています。

学と理紗は小さい時から親に、世界に奪われ続けてきた二人です。

学は常日頃から「やるんなら、僕は、自分でやらなくちゃいけないんだ。そうなんだ、僕は、最初から、自分でやらなくちゃいけなかったんだよ」と言うように何でも「一人で」と一人よがりで責任を他人に委託しない傾向が見られます。

逆に理紗は私は無自覚の罪に塗れていると考え、教会や行った時に「善悪の基準は全部絶対の神が決めてくれる」と言われ、神様を信じれば救われると聞き、「もし、それが本当だとしたら、私の望んでいたもの、そのものじゃないでしょうか」と言い聖書を買って読んだりと(結局それは私は救われないと思わせる結果になってしまったが)常に「救われたい」と願っています。結局理紗を救うのは学しかいないのですが

理紗が抱えているものは「不信」だと思います。幼い頃から父から、『信頼を確かめ合う方法』として性的虐待を受けており、母親もそれを傍観。そんな環境では他人を信じられなくなってしまいます。そこが理紗の根っこの部分だと思います。

そんな理紗を救うきっかけになるのが、幼少期の学との出会いで、学は「なんとなく」仲良くなれそうだと言ってくれます。理紗にとってこれほど信頼出来る言葉は無かったでしょう。そしてその後も交流を重ねていく中で「私を助けてくれるのは、やっぱりあの人しかいない」と思うのは必然だったと思います。

そして本編最後のすれ違いが悲しい。

理紗が「私はがんばって一緒にいて、学君が幸福になって、そして私も幸福になる。それが正しいと、決めたのです。それがきっと、私の幸福で、私は私の幸福を願う」とただ一緒に生きていきたいと考えているのに対して、

学は「理紗が望むなら、僕は人をやめて、神にでもなんでもなろう」と言い本編は終わっています。

美しい終わり方ですが、理紗は学に神様になって欲しいとは思ってなかったと思います。

理紗は確かに神様に救われたいと願ってましたが、学にはそれを望んでいなかった。

理紗が学に救われたのは学が神様ではなく学が「学」だったからこそであります。

そうしたすれ違いが学に無理をさせる結果となり、最終的に後日談での学の自殺を引き起こすのではないかと思います。

ではすれ違ったままなら二人は真に救われないじゃないか!という人もいると思いますが、そもそも人は分かり合えないのが前提です。

それならどこに各々信頼を・救いを見出すのかというと、私はあの人を「信じられる」と思うことだと思います。

すれ違ってはいたけども学は理紗を信じられ、理紗も学を信じられた。

その関係性の中にあの物語の「救い」はあったのだと思います。

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だいぶふんわりとした記事になってしまいました。ただニュアンスを伝えたかっただけとは言え、内容飛び飛びですし、何度も再プレイしているとは言え細部までしっかり覚えてはいないと思われます。本編の描写と違う部分ありましたらすみません。