SIGHtseeing

ゲームの話題が主でプレイしたゲームの感想記事や、ゲーム発売スケジュール、セール情報、最新ゲーム情報などを取り扱っています。

『君の名は。』、『天気の子』から続くテーマ性の集大成『すずめの戸締まり』ネタバレあり感想


www.youtube.com

新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』を早速鑑賞してきた。端的に言うのであれば傑作である。『君の名は。』では災害を食い止めようと奮闘し、『天気の子』では災害を引き起こしてしまうと、素人目から見ても近作は災害と世界を描いているとくみ取れるものであった。

『すずめの戸締まり』では来場者特典である「新海誠本」での監督の言葉を借りれば「(すずめの戸締まりは)災害については、アポカリプス(終末)後の映画である、という気分で作りたい。来たるべき厄災を恐れるのではなく、厄災がどうしようもなくべったりと日常に貼りついている、そういう世界である」

つまり題材としては、帆高が世界を終わらせた『天気の子』を次のステップに進めた形で、『天気の子』ラストでも描かれていた終わってしまった世界の中で生きている人々にフォーカスした「以後」の話である。

宮崎から宮城までをテンポ良く巡るロードムービーと鈴芽と草太のガールミーツボーイ。いまいち距離感が掴めずにいる叔母との歩み寄り、そして物語の終わりが始まりと繋がる円環構造による自己救済と成長という複数の物語の軸を持ちながら、それぞれが作用し合い破綻していないという作劇は監督の剛腕さを改めて感じた。

物語の展開を予想させる画面作りというのが徹底されており、例えば鑑賞者は監督が『君の名は。』と『天気の子』でも災害をメタファーとしていることに気づきさえしていれば、荒れた大地とビルの上に鎮座した船など最初の数分のシーンを見ればすぐに鈴芽が災害孤児であると察せられる。

ドアの鍵を閉めたり、自転車の鍵を開けたりという私たちも普段何気なく行っているシーンを寓意的に冒頭に差し込み、「本作は鍵を開けたり閉めたりする物語ですよ」とさりげなく暗示しているのも上手い。

雨がやまない世界と好きな女の子を天秤にかけた『天気の子』から引き継がれた「選択と責任」というテーマにおいて、『天気の子』はラストに世界は最初から狂っており、帆高が選択をしてもしていなくても何も変わらなかったかも知れないと提示される。それでもなお、坂の上で祈っている陽菜を見つけた瞬間に、自分の選択によって雨に沈んだ東京で、「陽菜」を選んだ自分の選択を肯定できるという流れである。『すずめの戸締まり』では東京100万の命と思い人の命という選択をより自覚的に主人公に選ばせている。そのためさらにリアリティを持って鈴芽の選択した行動をダイレクトに感じられる。

本作はフィクションではあるがファンタジーではない。描き出されているのは2011年3月11日に東日本大震災が起きた私たちの世界そのままだ。まだ11年しか経っておらずセンシティブな題材である。しかし「新海誠本」で監督は「今回のキャストの何人かは、震災の記憶がほぼない世代でもあるんです。観客の中にも、この映画を見ても震災を連想しない方が1/3から半分くらいはいるんじゃないでしょうか。だからこそ、今のうちにこの映画を作らなければならないという思いはありました」と語っている。すずめの「戸締まり」というタイトルはドアを閉めるという意味と、かの笹川良一が「戸締り用心 火の用心」と歌っていたように、もう1度震災の記憶を蘇らせ用心させるという意味がある考えている。

 

ここからは劇中で印象的だった表現について書いていきたい。

 

なぜ閉じ師と鈴芽以外にミミズが見えないのか

これは他人事であるかにかかっていると思われる。幼き頃震災によって死にかけた鈴芽は常世へと足を運んだ。だから災害そのものであるミミズが見えるようになったと作中で語られるが、これは震災に対する意識の差というメタファーになっている。冒頭学校で地震が起きた際に鈴芽以外の生徒は半笑いで特に気にすることなく過ごしているが、鈴芽だけは怖がって震えミミズが見えると騒ぎ、ほかの生徒からは不審がられる。トラウマは人には見えないということだ。心というのは不可逆で一度経験してしまったらそれに一生囚われてしまう。

東京から宮城に向かう途中震災によって人の住めなくなった地域を丘から眺めるシーンがある。鈴芽にとってはトラウマを想起させる恐ろしい場所に見えたであろう。しかし草太の友人芹澤は同じ場所を見て「綺麗だな」という。残酷なほどに人によって世界の見え方は違うのだ。

 

印象的に描かれている水の表現

最初の後ろ戸を見つけた時鈴芽が水に入るのをためらっていた描写があった。私はあれはただ単に靴が濡れるからということではなく、津波により被害を被った鈴芽が水を恐れている描写であると感じた。また後ろ戸が登場するシーンでは愛媛の学校の水たまり、東京の地下の水と辺りに水がある表現が多く見られた。水面はあの世とこの世の境目だと言われており、此岸と彼岸を分ける境目にあるとされるのは三途の川である。そのため扉を開けずとも、水があるということは常世に近づいているという意味合いと、津波という恐ろしい災害を連想させるモチーフとして、水の表現を行っていたと考える。

 

なぜイスの脚が1本欠けているのか

草太が姿を変えることになった鈴芽のイスは、本来4本足があるにも関わらず1本欠けた状態になっている。鈴芽のイスから欠けたものとは、すなわちイスの制作者である母親の存在だ。そのため母親を亡くした幼い鈴芽が震災後に見つけたときには足が1本欠けている。3本足のイスはグラグラと揺れ安定しない。これは鈴芽の心そのものを表している。本編が始まるまでは11年という歳月が徐々に鈴芽の心を慣れさせ、鈴芽が言うにはいつからかイス(母親)を見なくなったという。だが草太がイスへと変えられもう1度イスを直視し、母親の不在という現実に向き合うこととなった。戸締まりの旅を続け、最終的に叔母の環との歩み寄りや草太との出会いを通して、母親の代わりにイスの足を支えられる存在と出会い、鈴芽の心は「安定」する。だからこそ11年前の世界に繋がった常世の世界で幼き日の鈴芽自身にイスを渡すことができたのだ。

 

『すずめの戸締まり』は『君の名は。』、『天気の子』から続く物語の集大成であり、それにふさわしい高い完成度だった。全編通してシリアスな雰囲気が作品を包んでいるが、合間のコメディ部分の配分もよいため説教くさくならず、バランスよくエンターテイメントとしても素晴らしい作品だったと考える。