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FF14「漆黒のヴィランズ」を終えた感想

以下の感想は『ファイナルファンタジー14』の「漆黒のヴィランズ」パッチ5.5までのネタバレを含みます。

 

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「紅蓮のリベレーター」の感想

 


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若葉マークが外れました

ついに「漆黒のヴィランズ」が終わって、最新拡張である「暁月のフィナーレ」に突入した。評判通りの素晴らしい体験の連続で、今までFF14をプレイしてきて良かったと思う。現時点ののプレイ時間は23日と15時間つまりは「567時間」である。飽き性な自分にとって、人生で1つのゲームにここまで時間を費やしたのは初めてだ。

私はRPG好きを名乗っているとおり、今まで多くのJRPGをプレイしてきた。FF14は「漆黒のヴィランズ」終了時点で、JRPGの最高峰に名を連ねる出来であるのは間違いないが、これから「暁月のフィナーレ」でさらにレベルが上がるのは、正直に言って全く想像できず期待が募るばかりだ。

 

さて本題である「漆黒のヴィランズ」の感想に移りたい。

 

まず「漆黒のヴィランズ」のシナリオはファイナルファンタジーらしいヒロイックファンタジーの構造でありつつも、従来の光と闇の立ち位置を反転させ、ツイストの効いたオリジナリティあふれるシナリオを展開しているのが特徴だ。

愛・光や闇・英雄といった姿形のないものをテーマにすると、必然的に扱う言葉もぼんやりとした印象となってプレイヤーの感情を上滑りし、フワフワと軸がなく頼りないシナリオになってしまうことも多い。

FF14は長期間運営してきたMMORPGだからこそ物語ることのできたストーリーで、今までプレイヤーが歩んできた(私で言えば567時間)膨大な足跡が存在することで、たとえ抽象的な事物を扱ったとして、それを語る「惑星ハイデリン」の住民たちの喜び・苦悩といった背景を知っているため、地に足がついたシナリオだと感じられる。

 

「漆黒のヴィランズ」では先に述べた通りの歩んできた道のりが、ゲームのバックボーンだけでなく、シナリオ自体にも組み込まれ可視化されてプレイヤーに提示される。作中で「第八霊災」が起きたもう一つの未来では、主人公が今までが成しえてきた英雄譚が、荒んだ世界に生きる人々のしるべとなっていた。

それは間違いなくプレイヤーが主人公である「光の戦士」を操作した結果であり、そうして生まれた希望が「漆黒のヴィランズ」本編と未来に繋がっている。長い時を経ても英雄がエオルゼアを救った物語は語り継がれ、その物語に誰かが救われていたという描写はプレイヤーにとっても救いである。自らの行いが巡り巡って自分に戻ってくるという美しい円環構造であり、だからこそシナリオを通して描かれた、本当に本当にさまざまな「託された想い」のゆく末は、というストーリーの流れは美しく説得力がある。

私がFF14をプレイしてきて一番好きになったキャラクターは「グ・ラハ・ティア」である。英雄への憧れを抱き光に焦がれた彼は、自らが主役の器ではないことを自覚しながらも、たったひとりのために名を捨て100年に渡り準備をして、見事「世界ひとつ救ってみせた」。その憧憬と愛と執念と献身は本人が認めようが認めまいが、まさに英雄の所業であろう。

また「紅蓮のリベレーター」で追加された、主人公以外を操作するバトルを活かした演出も素晴らしく、各種ロールクエストや5.5最後の「黎明の死闘」はあらゆるキャラクターの行動に実感を持たせ、感情移入させる装置として機能していた。

 

私は「新生エオルゼア2.0」から「漆黒のヴィランズ5.5」まで通底するテーマは、「願い」と「継承」だと考えている。「漆黒のヴィランズ」ではシナリオでかなり直接的に描かれていたが、ただそれは先に述べた「希望」のような輝かしいものばかりではない。たとえば「蒼天のイシュガルド」で描かれた人間とドラゴンの対立「竜詩戦争」や、「紅蓮のリベレーター」の舞台であるアラミゴ・ドマの長きに渡る帝国の支配とそれによる弊害も、ある種そこに生きる人々にとっての「願い」と「継承」の形だろう。

そうした問題を丁寧に解きほぐし、ゲームを通して人間の善悪の多面性を丹念に描いていたからこそ、今回アシエンの背景が明かされたとて陳腐にはならず、「漆黒のヴィランズ」の"悪役"であるエメトセルクやエリディブスの人間味として機能していた。

「漆黒のヴィランズ」ではキャラクターの関係性も練られており、主人公とエメトセルク/グ・ラハ・ティアとエリディブスの役目の対比が物語に厚みを与えていた。そうしてあらゆる視点で描かれる物語は、味方と敵・善と悪・光と闇という従来の二項対立に収まらず、ファイナルファンタジーでありつつも、脱構築に至っている。

タイトルに冠された「ヴィランズ」とは、第八霊災を防がんとする主人公と暁の仲間たちであり、第一世界を救おうとしたアルバートたちであり、未来を変えようとしたグ・ラハ・ティアであり、故郷を取り戻そうとしたエメトセルクとエリディブスであり、そして第一世界・原初世界・第八霊災が起きた未来のそれぞれに生きる人々である。それらすべてが滅びの運命に抗おうとする「運命の反逆者」なのだ。

 
また特にゲーム部分で良かったのは、「紅蓮のリベレーター」序盤で顕著であった先の見えなさや、展開のマンネリ感が完全に改善されており、プレイヤーを飽きさせないシナリオ構成が見事であった。まず罪喰いの脅威やハイデリンやゾディアークの成り立ち、暁の仲間を原初世界に帰す方法、水晶公やエメトセルクの正体という大きな謎を序盤に提示し、その解決を大目標にかかげる。そしてバリエーション豊かな各エリアで、離ればなれになった暁の仲間と1人ずつ再会させることで、シナリオにこまめに起伏を産み出して、ゲームプレイへのモチベーションを牽引させる手腕には脱帽した。

本編後のレイドコンテンツの内容も「漆黒のヴィランズ」で何度も繰り返し語られた「託された想い」、「記憶」というテーマ性に統一されており、一体感があり非常に良い。「ヨルハ:ダークアポカリプス」はFFのテーマパークであるFF14に、他のシリーズIP作品を混ぜて大丈夫なのかと考えていた。しかしアンドロイド達の記憶と自我の統一性など親和性が高く、想像以上に馴染んでいた。ただそのテーマ性はレイドイベント自体では主として描かれないため、それをくみ取るためには『NieR:Automata』のプレイは必要だろう。そしてレイドでの演出や楽曲が素晴らしいので、全部のネタを味わいたいならオートマタだけじゃなく、レプリカントとDODにも手を伸ばしてほしい。

「ウェルリト戦役」はFF14としては珍しい毛色の違ったジャンルのコテコテのロボットモノオマージュであった。前述したとおりFF14は悪役であっても、一見して善悪を決めつけず、その背景を慮る「対話」のゲームだと感じているのだが、サイドシナリオとは言えここまで分かりやすい悪役の登場は初ではなかろうか(イルベルドですら凶行に至った背景がある)。ガイウスの補完であり、ロボットモノらしい熱い展開で良かったが、ただ1つの不満はもっとロボット操縦させてほしかった点だ。

 

「希望の園エデン」は大好きなFF8のオマージュで嬉しかった。ミトロンとアログリフはサイファーとアルティミシア/シドとイデアといった魔女と魔女の騎士であるし、ガイアとリーンはスコールとリノアの関係性の再話だ。「妖精/ジャンクション」の要素の使いかたも上手く、FF8のエッセンスと素晴らしい演出はそのままに、内容を「漆黒のヴィランズ」のテーマに沿って語り直してるのもポイントが高い。

 

また私は5.0本編をクリアしたのち、早く「暁月のフィナーレ」へ向かいたい気持ちを抑え、用意されているロールクエストを体験するため今までプレイしていたDPSから一旦離れて、暗黒騎士と賢者の育成を行った。特に暗黒騎士はトレーラーでフィーチャーされていることと、ジョブクエストを「漆黒のヴィランズ」のメインシナリオライターである石川夏子さんが担当しており、評判が良いということで始めたが想像以上だった。やるかやらないかで主人公に対する印象がかなり異なるどころか、完全に「漆黒のヴィランズ」のサブテキストなのでほぼ本編である。これを見るために慣れないタンクを頑張って育成してきて良かった思えるシナリオだった。

「漆黒のヴィランズ」トレーラーとお揃い

 

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公式サイトの「漆黒秘話」と「黎明秘話」を読み、「暁月のフィナーレ」へと進む準備は万全だ。「星と命を巡る物語」の最終章を全力で楽しみたいと思う。