SIGHtseeing

ゲームブログです。

劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト2回目感想メモ

f:id:sigh_xyz:20210608171904j:plain


本日2回目の劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトを見に行った。そこで1回目での疑問点もある程度氷解したり、新たに気付いた事があったためメモ程度に残しておきたい。当然本編のネタバレがあります。特典の色紙は1回目が星見純那で今回が愛城華恋でした。

 

sigh-xyz.hatenablog.com

 前回の初見感想記事です。良かったらこちらからどうぞ。

 

 

 

 

 

 

そもそもワイルドスクリーンバロックって何?

ワイドスクリーンバロックをなぞらえた造語。私はこの映画を見るまでワイドスクリーンバロックというジャンルを知らなかったが、ウィキペディアワイドスクリーン・バロック - Wikipediaによると「時間と空間を手玉に取り、気の狂ったスズメバチのようにブンブン飛びまわる。機知に富み、深遠であると同時に軽薄」とのことである。まさにこの劇場版レヴュースタァライトの構成・演出である。そして何故ワイドではなくワイルドなのかというと作中にキリンより説明があり、自然の摂理。いわゆる食う者食われる者の弱肉強食の世界である。この食う者食われる者という構図は今作のそれぞれのレヴューの二人に対応している。

 

 

何故天堂真矢だけ皆殺しのレヴューで前掛けを落とされなかったのか?

→皆殺しのレヴューが始まった時、天堂真矢だけ観客が望むなら舞台に上がるまでと言っている事から分かるように、ただ一人舞台に上がってレヴューに対応できているから。またその後の99期生の決起集会の際、他の皆殺しのレヴューで大場ななに殺された星見純那、露崎まひる、西條クロディーヌ、石動双葉、花柳香子の5人は暗い場所で一人になり、舞台に上がれていないことを示唆されており(ライトが当たっていない)、天堂真矢のみ他の99期生の中に混じって過ごし、スポットライトを浴びて配られた未完成の脚本を手に演技の練習をしていることからもすでに舞台に上がっている事が分かる。

 

 

怨みのレヴューの最後、バイクの鍵左手薬指にかけてない?

→インターネットで見かけたコメントで、いやさすがにそれは‥‥あまりにあまりすぎるだろ!と思っていたため、今回確認しました。確かにバイクの鍵を渡す際双葉が自身の左手薬指にかけているバイクの鍵を香子に渡していますね。これはそのまま結婚指輪のメタファーであり、しかもその鍵についているキーホルダーがポジションゼロ型である。ポジションゼロは作中で墓標・十字架・スタート地点等様々なモチーフとして使われているが、今回はあなたの人生を背負う・一緒の墓に入ろう・また新しい私たちで会おうという意味合いかなと思います。これってもうプロポーズやんけ~~~~!!また今回はポジションゼロというだけではなく、T字路をも表しており、ここから二人の道は分かれるという示唆も孕んでいるように思います。

 

 

天堂真矢のいう神の器ってどういうこと?

→突然に出てきたため初見に混乱していたワードです。これはフォロワーさんが冒頭の純那と華恋が演じていた劇中劇のセリフ「神の舞台の道化」に対応しているのではないかと言われていたため、そのつもりで二回目を鑑賞したところ、そうだろうなと思いました。神に踊らされるくらいなら、私が演劇という神を降ろす器となるという天堂真矢の覚悟の現れだと思います。また魂のレヴュー前に真矢クロが動物将棋をしているシーンで天堂真矢の手元に「ネクタル」と書いてある缶ジュースが置いてあります。ネクタルはギリシア神話で神々の飲み物のことで、不死をもたらすとされており、そのネクタルを飲むということは神を自らの中に入れる=神の器ということで、また不死というのは、何度も自らの再生産を行う舞台少女とは相反する概念であり、天堂真矢が道を間違えそうになっている事も示唆されています。そもそも天堂真矢といえども高校3年生の子供であり、その舞台人としてもまだまだ未熟な身で神の器になろうとしていること自体が、レヴュー中にクロディーヌに指摘される空っぽになれない傲慢さの表れだと思います。

 

細かいところでは狩りのレヴューの星見純那と大場ななの「泣いちゃった」の対比は、アニメ版の「知らなかった。ななってこんな大きいのに怖がりで泣き虫で。子供みたい」と対応しており、

魂のレヴューの天堂真矢が可愛いという掛け合いは、アニメ版の「泣き顔も可愛いですよ」と対応している。

などの発見がありました。まだまだ考えることは多いですがひと段落です。前回初見の時に書いた考察等も誤差はあれど大きくは外していないだろうと思います。

 

劇場版よくわからなかったという声があります。確かに初見は演出のあまりの凄まじさに圧倒されてしまうかもしれませんが、その演出や構成はアニメ版や、ロンド・ロンド・ロンド、または劇場版におけるその前のシーンの要素を拾っていくと納得できるものとなっていますし、メッセージはかなりシンプルでストレートです。私は劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトは、観客が望めば望むほどに答えてくれる素晴らしい映画であり、ここのシーンの意味はこうかな‥‥と思ってみると確かにそれに対応した場面が描かれています。そうするとかなり映画の飲み込みが良くなってより一層楽しめると思うので、この場末のブログの前回・今回の記事がその一助になれば幸いです。